グローバルにヘルスケア価値を提供する、SHIONOGIの新たな挑戦
2025.03.17
2025.03.17
薬の街として知られる大阪・道修町に本拠地を構えて140年余。大阪の発展とともに成長してきた製薬会社・塩野義製薬は、2025年夏以降に本社をグラングリーン大阪に移転することを発表した。製薬開発の国際的な競争力が増すなか、「大阪から世界へ」をスローガンに新本社での新たな挑戦が始まろうとしている。SHIONOGIが見据える未来について、手代木功代表取締役会長兼社長 CEOに話を聞いた。
塩野義製薬のルーツは明治時代まで遡る。和漢薬を扱う問屋として創業し、以来、道修町とともに事業の発展を遂げてきた。現在の研究開発型の製薬会社に至るまでの成り立ちについて、手代木社長は次のように振り返る。 「塩野義製薬は、1878年に薬種問屋『塩野義三郎商店』として道修町(どしょうまち、大阪市中央区の現本社)で創業しました。創業当初は和漢薬の販売や西洋薬の輸入販売を行っていましたが、終戦(1945年)を迎えたことを契機に、薬を創薬し、製造して、提供するという製薬を中心とする事業に転換しました」
手代木功 代表取締役会長兼社長CEO
その製薬事業において、長年にわたり注力してきたのが感染症治療薬だという。 「新型コロナウイルス感染症のパンデミックによって、感染症に対する国民の皆さまの関心が非常に増したと感じています。我が社は感染症の創薬を始めてから60数年、輸入販売の時から数えると100年以上にわたって感染症治療薬に携わってきました。感染症治療薬という点では、我が国のみならず、世界的に見ても塩野義製薬は高く評価されていると思います。とくに抗エイズウイルス(HIV)薬を通じて、欧米を中心にグローバル展開を加速させています」
塩野義製薬の感染症への取り組みは、治療薬の 研究・開発にとどまらず、予防や診断ならびに重症化抑制まで、感染症のトータルケアを追求している。
2020年6月には、新中期経営計画「Shionogi Transformation Strategy 2030(STS2030)」を策定し、2030 年までに成し遂げたいビジョンとして「新たなプラットフォームでヘルスケアの未来を創り出す」を掲げている。その意義について次のように語ってくれた。 「私どもは製薬会社として、薬を研究・開発し、生産、販売とこれまで薬を中心に置いて事業を展開してきました。ですが、患者さま側の視点から見れば、最終的なゴールは“薬”ではなくて、患者さまの“健康”です。薬だけでなく、診断、予防、健康増進など、患者さまのニーズに応えるヘルスケアソリューションの提供を目指しています。我々だけでは難しい分野は、外部企業とパートナーシップを組んでヘルスケア全体の困りごとを改善するソリューションを共創する。トータルで提供できるプラットフォームを構成し、患者さまのみならず、社会の幸福を達成できればという想いを込めて掲げています」
医療用医薬品を中心に提供する「創薬型製薬企業」から、ヘルスケアサービスを提供する「HaaS(Healthcare as a Service)企業」への進化を目指す塩野義製薬。その一環として、2025年夏以降の移転を目標に本社をグラングリーン大阪へと移す。今回の移転の背景を手代木社長はこう説明する。 「我が国は人口減少期に入り、少子高齢化が進んでいます。これは日本のみならず先進諸国が抱える共通の問題であり、言い換えれば、日本は世界に先駆けて少子高齢化問題を最初に経験する課題先進国です。先進諸国は、日本がこの問題をどう解決するのか注視しています。人口減少に加えて、日本は財政状況も芳しくない中で、SHIONOGIグループもより一層のグローバル化に向けて舵をとらなくてはいけない。道修町は我々の創業の地であり、スピリットの元です。ですが、現本社では周辺に点在している開発部門やIT部門などの人員を集約するのが難しく、事業継続計画(BCP)機能にも課題がありました。そのため、難しい決断ではありましたが、グローバルに展開する未来を見据えて、時代に対応できる本社機能を備えることが、これから150年、200年と発展していくために重要であると判断しました」
また、イノベーションの創出という観点から、さまざまな大学や企業、研究機関が交じる中核機能施設「JAM BASE」の存在も移転の大きな理由のひとつだったと続ける。 「革新的なヘルスケア製品・サービスを継続的に創出するためには、様々な方々と接点を持ち、イノベーションを起こすことが必要となります。JAM BASEは、大学から様々な規模の企業まで、多様性を持ったプレーヤーが集い、新たなアイデアを形にし、社会実装・現実化への挑戦を支援する施設です。そうした方々と我々が今後連携を深め、革新的な医薬品を持続的に開発していける可能性のある拠点があるというのは非常に魅力的でした。」