今も昔も変わらない、街を賑わす筋と通り
2021.12.20
2021.12.20
大阪の街は、太閤・豊臣秀吉の時代より碁盤の目のように道路が縦横に規則正しく整備された。南北に走る道路は「筋」(すじ)、東西に走る道路は「通り」(とおり)と一般的に呼ばれ、昔からエリアごとに顔となる道があり、いまも人々に親しまれている。 ●天神橋筋商店街(てんじんばしすじしょうてんがい) 南森町駅、扇町駅、天神橋筋六丁目駅と3駅にわたる全長約2.6kmの日本一の長さを誇る商店街。天下の台所を象徴する大阪三大市場のひとつ、天満青物市場が近くにあり、日本三大祭の天神祭で有名な大阪天満宮の門前町として江戸時代より栄えてきた。江戸時代創業の味噌屋や明治時代創業のバッテラ発祥の店、大衆食堂、古本屋、昆布屋など約600店舗が軒を並べ、大阪天満宮の隣には戦後60年ぶりに復活した上方落語唯一の寄席「天満天神繁昌亭」がある。毎年7月24・25日に開催される天神祭では、神輿が練り歩き、露店や見世物など賑わいを見せている。
●御堂筋(みどうすじ) 梅田から難波まで南北を貫く、大阪を代表するメインストリート。御堂筋という呼び名は「北御堂(西本願寺津村別院)」と「南御堂(東本願寺難波別院)」をつなぐ道だったことが由来だ。かつては大阪城へと続く東西の通りが主要動線で、当時の御堂筋は幅がわずか約6mと狭いものだったが、多くの問屋が軒を並べる賑やかな筋でした。1937年には約44mの6車線に拡幅し、大幹線道路として完成。大阪一の利用者数を誇る大阪市営地下鉄御堂筋線も地下に走る大阪の大動脈として市民に愛されている。
●中之島バンクス(なかのしまばんくす) 飛鳥時代に難波津(なにわづ)と呼ばれた港があり、大陸や日本各地の交易拠点として発展してきた歴史を持つ水都大阪。官民協働で水都を再生する目的で堂島川賑わい空間創出事業として2010年に開業したのが中之島バンクス。河川に浮かぶ船のレストランや商業施設、定期的にリバーサイドマーケットが並ぶ堂島川左岸の堂島大橋から玉江橋までの全長400mの親水空間だ。
2024年夏に先行まちびらきを迎えるうめきた2期。新たに誕生するまちの中心には、みどり豊かな公園があり北街区と南街区に分かれている。南街区開発を担当しているのが、三菱地所設計の河畑淳司さんだ。以前まで東京の大手町・丸の内・有楽町地区(通称大丸有エリア)のまちづくりや商業施設の複合ビルの設計に携わっていた。
「日本に限らず世界の主な都市には、目抜き通りというのが必ずあります。パリならシャンゼリゼ通り、シンガポールにはオーチャード・ロード、バルセロナはランブラス通りというように、その都市をイメージするときに真っ先に思い起こされるような、その街を象徴し、人々に愛されるメインストリートです。たとえば私が関わった丸の内仲通りは、丸の内エリアのメインストリートであり、それを軸にまちづくりが展開されています。大阪にもさまざまな筋と通りがあり、大阪の経済発展に寄与してきました」と河畑さん。とくに大阪を特徴づけると挙げたのが天神橋筋商店街、御堂筋、中之島バンクスの3つの筋と通りだ。 「天神橋筋商店街は利便性が高く非常にヒューマンスケールなアーケードで、庶民の台所として機能してきました。一方、御堂筋は言うまでもなく大阪を代表する通りで、大阪の南と北を結ぶ大動脈として賑わいがあり特徴的です。南北方向だけではなく、東西方向にも広がりを持って街が発展してきたと思います。また、水都を象徴する中之島バンクスは、堂島川に開かれた親水性が高い空間です。近年、中之島バンクスに限らず大阪の川沿いの親水空間は非常に整備されていて、東京から大阪に戻ったときはとても驚きました。それぞれスケールや機能は違うものの大阪を代表する筋と通りが、潤いや活気、多様性を持った魅力的な都市空間を創造しています」
うめきた2期に新しく誕生するまちにも、印象的な通りができるという。 「うめきた2期の敷地はもともと操車場だったところで、植物の種子のような形状をしています。一番の目玉となるのは、みどり豊かな水辺空間を持った公園です。公園を中心に南街区と北街区をつなぐ特徴的な配置になります。歩行者動線は南北を結んだ曲線のブリッジが構成されていて、公園のさまざまなシーンを横断しながら体験できます。また、南街区には建物と建物の間にバレー空間と呼ばれる渓谷の谷間を歩くような通りが南北に貫き、それに対し地下、地上、2階を歩行者空間が東西に交差する形になり、ちょうど筋と通りのように面として動線がつながっていきます。1階だけではなく2階からも大阪駅や新駅からアプローチができ、平面的だけではなく多層的、立体的な歩行者空間となります。都市のネットワークとして2階でも地下でもつながっているというのはアプローチしやすく重要なことだと思います」 さらに通りだけでなく、まち並みにもこれまでとは異なるアプローチをしていくと河畑さんは言う。 「もうひとつ、建物にも軸があり、我々は設計するときには通り芯と呼んでいて、一般的には道路に対して水平垂直に設けていますが、今回はあえて正方形のキューブがいろんな角度に向くように配置しています。そうすることで建物と建物の間に余白や“間”みたいなものが生まれ、人が集まったり、あるいはそのスペースを自由に活用していけるのではないかと期待しています。いろんな建物の軸が増えれば、時間や季節の移ろいによって多様な表情の都市景観を生み出していけるのではと考えています」 大阪の筋と通りが、固有の歴史と景観を創造してきたように、うめきた2期の通りも、まちのアイデンティティとなるにちがいない。
撮影:内藤貞保 文:脇本暁子