祭りが人と人をつなぎ、地域コミュニティを育む。

2022.09.15

古来より“祭り”は、神と人、人と人、地域をつなぐ力をもっている。神をお迎えする祭祀的なものから市民運動に端を発するものなどさまざまな祭りがあるが、いずれも民衆が支え、文化を継承し、地域コミュニティを育んできた。大阪が誇る個性的な3つの祭りを紹介する。 ●天神祭 日本三大祭のひとつに数えられる祭りで、起源は平安時代中頃に大阪天満宮が建てられた翌々年の天暦5年(951年)に鉾流神事が斎行されたのが始まりと伝えられている。鉾流神事とは、神社の前の浜より神鉾を流し、その漂着した場所を御旅所と定めその地に神様をお迎えする神事のことだ。6月下旬から7月下旬にかけてさまざまな行事が開催されるが、例年7月24日の宵宮(よいみや)と呼ばれる前夜祭と、25日の3,000人の豪華な衣装を纏った大行列が船着場まで練り歩く陸渡御(りくとぎょ)、大川に多くの船が行き交う船渡御(ふなとぎょ)が見どころだ。祭りの最後を飾るのは神様のお出ましのお迎えを祝う奉納花火で、大川に約100隻の船が航行し約5,000発の花火が打ち上げられる。「天神さん」の愛称で人々に愛され、愛染祭、住吉祭とともに浪花三大夏祭りのひとつでもある。

大阪の夏の風物詩である天神祭のフィナーレを飾るのが、大川を航行する船渡御と奉納花火。天満宮オリジナルの紅梅花火をはじめ文字仕掛け花火など、5000発の花火が打ち上げられる。

●四天王寺の聖霊会 聖徳太子が6世紀に建立したとされる四天王寺で、毎年4月22日の聖徳太子の命日に開催されるのが聖霊会舞楽大法要だ。六時堂前の石舞台上で聖徳太子の御霊に奉納される極楽浄土の舞楽は、1000年以上前の王朝時代の舞楽の姿を現代に受け継がれているものとして、国の重要無形民俗文化財に指定されている。2022年は聖徳太子の没後1400年という節目の年であり、例年より規模が大きく開催された。直径約2.4m、高さ6mの大太鼓が打ち鳴らされ、四隅を巨大な赤紙花の曼珠沙華が飾られた石舞台の上で人の顔を描いた布の面で舞う「蘇利古(そりこ)」など、約8時間の儀式が行われた。

「蘇利古」は聖徳太子の御霊をお迎えする目覚めの舞として、通常は4人舞だが、四天王寺では5人で舞う。「蘇利古」を舞っている間に、六時堂内で聖徳太子像の前の御簾を上げ、御水を捧げる御手水(みちょうず)の儀式が行われる。

●中之島まつり 毎年5月3、4、5日の3日間にかけて大阪市北区の中之島公園一帯で、1973年から開催している日本最大級の市民祭り。祭りの端緒となったのは1971年に大阪市が発表した「中之島東部地区再開発構想」だ。この構想は、明治時代に竣工された大阪府立中之島図書館、大正時代に竣工した大阪市庁舎や中央公会堂といった歴史的建造物を撤去し、その上に高さ3mの人工地盤をつくり25階建の市庁舎、5階建ての議事堂、6階建てのホールを新たに建設するというものだった。その計画に異を唱え、翌々年に中之島公園一帯の景観保存を目指して始まったのが、中之島まつりである。 毎年、参加する団体や個人が実行委員会を結成し、企画から準備、当日の運営まで、市民が力を出し合い、誰もが参加でき、つくり手になれる祭りだ。

2年連続の中止を挟み、3年ぶりの開催となった中之島まつり。中央公会堂前の道を中心に多くの市民団体による出店や、ステージ上でのパフォーマンスが行われる。画像は2018年のもの。

祭りは、郷土愛や地域の絆を深め、その地域を活性化させることにもつながる。今年3年ぶりに開催した「梅田ゆかた祭」も、地域との関係性をつくり地域コミュニティを形成するのに一役買っている。主催しているのは梅田地区エリアマネジメント実践連絡会だ。その祭りの魅力を「梅田ゆかた祭2022」の幹事法人を務める一般社団法人グランフロント大阪TMOのふたりに聞いた。

左から常名慶一郎さんと棚瀬智彰さん/一般社団法人グランフロント大阪TMO

「梅田地区エリアマネジメント実践連絡会は、梅田エリアの持続的発展を目指すエリアマネジメント団体です。2009年11月に西日本旅客鉄道株式会社、阪急電鉄株式会社、阪神電気鉄道株式会社、一般社団法人グランフロント大阪TMOの4社で発足し、21年4月には新たにOsaka Metroが加入し5社で構成されています」と話すのはグランフロント大阪TMOの常名慶一郎さんだ。 「梅田の賑わいを活性化するためにさまざまな活動をしていますが、地域のイベントとして2010年に冬の梅田スノーマンフェスティバルを開催し、その翌年には夏の賑わいづくりの取組も始まりました。多くのコンテンツがありますが、2011年当初から続くひとつに、昔からの日本人の知恵である“打ち水”を参加者で一斉に実施する『梅田打ち水大作戦』があります。またうめきた広場にやぐらを組んで盆踊りをする『ゆかた de 盆踊り』は、2012年から始まった住民と来街者が一体となる人気コンテンツです」と梅田ゆかた祭の成り立ちを語る。

ワーカー・施設関係者と来街者の方々が、4会場一斉に打ち水をすることで梅田を涼しく演出する。

梅田ゆかた祭が地域の住民とうめきたを訪れる人々を繋ぎ、街を活性化させてきたと棚瀬智彰さんも言う。 「グランフロント大阪を訪れる方や働く方々が、近隣に住む方々と一緒になって何かをする機会は、ふだんではなかなかありません。そうしたなかで、盆踊りが大きなコミュニケーションの場になってくれました。踊りを全く知らない人でも、地域の女性会の方々に教わり一緒になって盆踊りをすることで、新たなコミュニケーションが生まれます。また梅田界隈は大学も専門学校もあり、留学生も多く、浴衣を着て日本の文化を感じていただけるという一面もありました。残念ながら新型コロナウィルス感染拡大の影響で2年連続の開催中止となりましたが、2019年までに梅田ゆかた祭に来場された人数は、累計17万人にもなります。梅田ゆかた祭は、うめきたエリアにおける夏の風物詩として認知されてきた祭りなのです」

2012年開催以来、うめきたの来訪者たちや地元の住民などがうめきた広場で輪になって踊る、梅田の夏の風物詩である「ゆかたde盆踊り」。2022年は残念ながら開催中止となった。

今年3年ぶりに開催された梅田ゆかた祭では、新たなコンテンツも用意したという常名さん。7月30日、31日の2日間は「ぺたぺたゆかたきぶん」と「ハイパー縁側@梅田ゆかた祭」を初実施した。 「『ぺたぺたゆかたきぶん』は浴衣柄手ぬぐいに、色々なスタンプを押して自分好みの手ぬぐいをつくるというイベントです。スタンプは全部で6種類あり、6カ所の会場でそれぞれ会場限定のスタンプがあります。手ぬぐいは大阪発祥の伝統技術である注染を手掛ける株式会社ナカニとコラボレーションしました。またスタンプは地元の幼稚園の子どもたちが和文化と梅田の街をテーマに絵を描き、それを基にデザインしたもの。地域をつなぐ取り組みで完成しました」 一方「ハイパー縁側」は、まちづくり、アート、ビジネスなど、地域に根ざした活動をするさまざまな人を招いて、縁側のような気軽さで語り合うトークセッションイベント。「通常は中津等のオープンスペースで開かれていますが、梅田ゆかた祭と連携した形になります。今回、和文化・SDGs・まちづくりをテーマに、梅田地区に関わっている人たちがオープンスペースで様々なジャンルのトークセッションを行いました」と常名さんが言うように祭りだけではない、新しいまちづくりに主体的に関わることができる魅力的なイベントが揃っている。

「和文化・SDGs・まちづくり」をテーマに3ヵ所の会場で計20組のさまざまなジャンルの登壇者がトークセッションを行った「ハイパー縁側@梅田ゆかた祭」。

2024年夏には、グランフロント大阪のすぐ隣にうめきた2期というみどり溢れる新しい街が先行まちびらきを迎える。うめきた2期と一緒に連携していくことで、梅田ゆかた祭のさらなる発展を棚瀬さんは期待する。 「うめきた2期とどういった形で一緒に取り組んでいくのかは模索している最中ですが、現在はうめきた広場の大階段から西側を見たとき、最初に目に入るのが、空中庭園展望台のある梅田スカイビルです。それが緑溢れた公園の景色にガラリと様変わりするでしょうし、フィールドも倍以上に広がります。オープンスペースも多くできると聞いていますので、連携することでよりパワーアップした祭りを実現できるのではないかと前向きに捉えています」 大阪の夏を彩る梅田ゆかた祭が、地域と来訪者を繋げ、新しい街のまちづくりにおける大きな力になっていくだろう。

明治時代に大阪で生まれた浪華本染め(なにわほんぞめ)、一般に注染(ちゅうせん)と呼ばれる伝統技法を受け継ぐ株式会社ナカニとのコラボレーションで製作された手ぬぐい(非売品)。淀川から見た梅田の風景をモチーフにしている。

写真:東谷幸一 文:脇本暁子