水都の伝統が根付く大阪の石文化が、うめきた2期の公園に与えた影響とは

2023.01.12

うめきた2期では、公園が敷地面積の約半分を占める。公園では石垣や石段が多く使われる予定だ。どのように石が使われるのだろうか。大阪の特徴的な石文化とは。ランドスケープ設計を担当する日建設計のランドスケープ設計部ダイレクター、小松良朗さんに話を聞いた。

小松良朗さん/株式会社日建設計(都市・社会基盤部門 都市デザイングループ ランドスケープ設計部 ダイレクター)

うめきた2期の都市公園をデザインリードするのはランドスケープ・デザイン事務所「GGN」。イギリスのダイアナ・メモリアルをはじめ、過去のプロジェクトでも美しいストーンワークをつくってきた。デザインの魅力についてGGNと協働する小松さんは、「公園の大きな形状が生み出すダイナミックさと、優美なディテールにこだわったデザインです。それをうめきたの地形と石によって表現しているところに特徴があります」と解説する。

うめきた公園全体図

うめきた2期の都市公園においてこの特徴により創出された空間は「3つのコア」と呼ばれている。南公園の「リフレクション広場」、北公園の自然豊かな「うめきたの森」、そして南北をつなぐ「ステッププラザ」を指す。 水盤を石段の観客席で囲むつくりの「リフレクション広場」では、なめらかな仕上げの黒い花こう岩を使用し、洗練されながらも座りやすい形状のデザインとなっている。「うめきたの森」では日本の石垣のダイナミックさ、ワイルドさを表現するため、割肌の黒い花こう岩を使用。ステッププラザは道路を挟んで南北にある公園を視覚的にシームレスにつなぎ、人のにぎわいを演出する。にぎわいの中心にあるのが、人が座れる石段だ。白みがかった石を使用し、和やかで親しみやすい空間を目指す。

南公園と北公園を視覚的にシームレスにつなぐ 「ステッププラザ」。90メートルほどの長い石段のベンチを設けることで、人のにぎわいが風景をつなぐ。

北公園の「うめきたの森」に創出される「石垣と滝」。うめきた2期の新たなランドマークになるはずだ。

現在、設計図をもとに試作品をつくり、GGNや施工者とも相談しながら詰めの調整をしている。人が座れる場所と階段になる場所で石垣の角度が変わるポイントや、石段が曲線になっている両端部など、図面上だけでは伝わりにくい繊細なデザインをひとつひとつ確認している最中だ。「自然と調和しながら、いかに石垣をダイナミックで美しく見せることができるか。なめらかな曲線のラインをうまく表現できるか、優美なデザインになっているかなど、実物をみて話し合っています」。これからさらなる微調整を重ね、施工図にフィードバックし、実際のランドスケープ工事に生かすつもりだという。 地震時の備えにもこだわった。建築躯体の石垣と公園擁壁の石垣が隣り合う際、5センチほどのすき間をあけている箇所がある。地震で石垣が揺れても崩れず、壊れないためのデザインだ。「デザインの意図を残しながら、いかに地震にも強い石垣にするかに苦心しました。その中で出てきたのがたった5センチのすき間です。場所によっては、数ミリ単位で組み方を調整しています」。ゆくゆくは、「割肌の石垣のすき間」からシダ植物が生えるなど、自然と一体化したデザインになることを考えている。

「うめきたの森」を取り囲む石垣部分の実寸モックアップ。高い技術力によってミリ単位で石を調節し、地震時の備えにも配慮しつつ、GGNが表現する優美なデザインを実現する。

日本の石垣文化には長い伝統がある。古くから、急な地形を平たんにするため、農地や宅地に石垣が使われてきた。ヨーロッパでは外敵や気候から身を守るための石造りの家が作られたことと対照的だ。 大阪では大阪城や中之島の岸岐護岸など、特徴的な石造りが多くみられる。大阪城の石垣は中世に諸藩の大名を動員して築かれたものである。約100万個の石が使われ、石は小豆島をはじめとした瀬戸内海の島々から水運を利用して運ばれた。現在、本丸の北側には「刻印石広場」と呼ばれるエリアがあり、大阪城の石垣築城に参加を命じられた諸大名が家紋などを刻み込んだ石垣を見ることができる。 中之島岸岐護岸での商売の様子は、江戸時代の絵図によく描かれてきた。当時の大阪は「天下の台所」と呼ばれ、物流や経済の一大拠点。中之島・堂島周辺には各藩の蔵屋敷が立ち並び、年貢米や特産品を保管していた。「堂島米市場」は世界初の組織的な先物取引所とも称されている。川から蔵屋敷につながる船の出入り口には石畳の階段が使われていたが、水都大阪らしいにぎわいをあらわす象徴的な風景だったといえよう。 「大阪を象徴する場所にはこれまで多くの石が使われてきました。水と陸をつなぐ存在が石垣や石段です。水運が発達した水都だからこそ、独自の石垣文化が発達してきたのです。GGNさんはデザインするにあたって、日本の石文化からインスピレーションを受けたと思います。優美でモダンなデザインとして蘇り、人のにぎわいの中心となるのがうめきた2期の石垣や石段なんです」

長谷川貞信『浪花百景』より「中の嶋蛸の松」。このあたりは広島藩大坂蔵屋敷だったが、1995年からはじまった調査によって護岸用の石垣や岸岐が発掘された。 大阪市立図書館デジタルアーカイブより

公園はうめきた2期開発における敷地面積の半分を占めることになる。公園はどのような存在になるだろうか。 「1期と2期の開発をはじめ周辺の街全体のそれぞれの価値を高めてくれる存在になると思います。豊かな自然の緑は大阪という街の価値そのものを高めてくれるでしょう。そこに日本らしさ、大阪らしさを象徴する石垣や石段が使われ、にぎわいの中心になる。公園を訪れる人には、ダイナミックで優美なデザインと共に、日本の伝統的な石加工の技術、そして高い設計・施工技術を感じてほしいですね」

「日本の高い技術力を結集したうめきた2期の公園を見てほしい」と、小松さん。

写真&文:韓光勲